四畳半神話大系 10話の感想

 10話で四畳半に引きこもることを選んだ「私」が四畳半地獄をさ迷いながら気づいた一つのこと、それは、1〜9話までの「私」が充実したキャンパスライフを送っていた、ということだった。
 バラ色のキャンパスライフを求めて奮闘し、そして挫折する。それが1話から9話までの「私」だった。そして各話の最後では、バラ色からは程遠い結果になってしまった3年間を後悔しながら時を巻き戻した。
 しかしその「失敗したキャンパスライフ」は、10話の私には輝かしいものに見えた。もちろん引きこもりから見ればどんなキャンパスライフであっても充実して見えるだろう。しかしそれ以前に、そもそも1〜9話までの「私」のキャンパスライフは本当に失敗だったのかと問わなければならない。
 思い返せば、各サークルに所属していた「私」はそれなりの結果を残していた。映画サークルでは独自路線ながらいくつもの映画を発表し、サイクリングサークルではママチャリでレースを完走、新興宗教でも高い成績をあげて本部に呼ばれるまでになった。
 方向はズレいるものの、根性と努力を惜しまない性格があるためにちょっと目を見張る程度の活躍はしていたのだ。「私」がそれらの成果を成果として認めず「失敗したキャンパスライフ」と断ずるのは、「私」が「バラ色のキャンパスライフ」という高い目標を掲げていたからに過ぎない。
 9話で師匠が「可能性という言葉を無限定につかってはいけないよ」と「私」に説教したのはそのことだった。「一点の曇りもないバラ色のキャンパスライフ」などという可能性の中にしか存在しないような高い目標を掲げていては、いかなる結果にも満足できない。どんな4年間を過ごしてもそれを「有意義な学生生活」とは認識できない。「私」が有意義な学生生活を得られないのは、サークル選びを間違えたからでも、小津にかどわかされたからでもなく、ひとえに足ることを知らないからだと師匠は看破したのだった。

 この物語の結末は明石さんと結ばれることである。それは第一話から繰り返し提示されている。しかし、3人の女性の中で揺れ動いたように「私」にとって明石さんは特別な女性ではない。そういうルートに入れば女性として意識はするものの、基本的には多数居る恋人候補の一人に過ぎない。
 しかしパラレルワールドを通して見れば明石さんが「私」にとって特別な存在であることが浮き彫りになってくる。なぜなら明石さんはどんな時も「私」の成果を認めてくれる女性だったからだ。私の努力は方向がズレているために華々しい結果を残すことはできない。映画サークルで主宰になることはできないし、自転車レースでも一番になることはできない。だからこそ「私」はそれを成果として認めないのだが、明石さんだけは「意外と根性ありますね」などと言って褒めてくれたのだった。
 「私」のズレた努力とその成果が万人から承認されるのは難しいだろう。万人から承認されなかったから「失敗」だと断じてきたのが1〜9話までの「私」だった。その高い目標ゆえにそれまでの努力と成果、そして唯一「私」の努力を認めてくれていた女性のことを見落としてきた。
 四畳半地獄を経てこれまでの「失敗したキャンパスライフ」を「充実したキャンパスライフ」だったと捉え直した「私」は、また、その「私」を唯一評価してくれていた明石さんという女性の存在にも気づくことになるだろう。